2014年4月18日金曜日

心得 第十九 「可児才蔵、大いに怒ること」


《慶長のころ、福島左衛門太夫正則の家来に可児才蔵という武勇の侍がいた。この人は侍大将として、芸州広島城内の黒鉄門の守備にあたり、一日一夜、ぶっ続けの勤めをしていたが、老体のため、寝転んで休息をしていた。そこへ正則公の傍に召し使われている小坊主が鷹狩の獲物のウズラを持参して、これは殿様の鷹が取った鳥なので下さったものでありますと述べた。才蔵はこれを承ると、すぐに起き上がって、わきに脱いであった袴をつけ、本丸に向かってウズラを押し頂き、「御礼は只今よりそちらへ参って申しあげます」と述べてから小僧に向かい、「そのほうは、いかに子供とはいえ、ひどい大馬鹿者であるぞ。殿様の御意なら御意とまずいいもせず、よくも身共を寝たままにして殿の御意を聞かせたな。おのれ、子供ででもなければ考えがあるが、小僧のことゆえ、許してやるが・・・」と大いに叱りつけた。小僧は肝をつぶして急いで帰り、小姓たちの中でそのいきさつを話したことから、それが正則公のお耳に入った。そこで小僧を呼び出してお尋ねになったところ、小僧は才蔵の言ったことを残らず申し上げた。公は「それは、そのほうの不調法である。才蔵が立腹はもっともであるが、それにしても芸備両国の侍どもの心を、残らず才蔵の心のようにしたいものである。そのようであれば、何事も思うままになるであろうに」といわれたということである。》

福島正則は《賤ヶ岳の七本槍》の一人で、加藤清正らと共に秀吉子飼いの家臣であった。その福島正則の家臣の可児才蔵の話である。心得第十八で述べたように、「行住坐臥」忠義に励む武士に対し、その徳を損なうような振る舞いをすることを戒めたのである。
心が共有できれば、志も遂げることができるというのである。
《人は生垣人は城、情けは味方、仇は敵也》は武田信玄の言葉である。
一心不乱》《一意専心》、〈心情〉の高潔さを身上としたのである。

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