「年功序列に甘えるな」の一項で、「修業の心がけは出家がまさる」に続くものである。
《なぜならば、武家の様々な役目といっても、それほど多くの種類があるわけでもないのだから、まだ役につかず、毎日、何の仕事もない間から、いつ、どのようなお役につけられるかは主君のお考え次第であることを心にきざんで、さまざまな勤めのやり方に日頃から関心を持ち、また親類縁者の中などにこれらのことに熟達した人があれば、面談の折には無益な雑談などはせずに、将来の参考となりそうなことを繰り返し尋ねては覚え込むのである。また古い覚書や絵図なども、すぐの役には立たなくとも借り受けて目を通し、または書き写しておく。
このようにして、それぞれの役目の勤め方の大筋を飲み込んでおくならば、いつ、どのような役を勤めることになっても安心である。第一、先輩や同僚を頼りにして教えを受け、助けに預かって任務を果たすなどというのは平穏な時世だからこそできるのであって、もしも世間に騒動が起こって、事態が差し迫っている場合には、他人の能力にすがってその助力を受けることは不可能であり、よくも悪くも、自分一人の予測で決着をつけねばならぬものである
とりわけ、戦陣における使い番などの役は、敵味方の兵力の多少、陣の配備の善し悪し、城の堅固さの程度、地形の有利不利、さらには合戦の勝敗を判断するまでの能力を身につけなければ勤められない。それであるから、昔から軍師の役は難しいものとされているのである。
しかしながら、使い役については、もしも偵察の仕方に間違った点があったにしても大抵は当人ひとりの失敗ということで事がすまされることが多い。ところが足軽大将より上の役について、采配を揮って軍勢を動かし、合戦の指揮をとるというのは、極めて重い役目である。なぜならば、すぐれた技量の者が人を討ち、劣った技量の者は人に討たれるというのが、古今を問わず戦場の定めであり、味方の人々の生死は大将の技量にかかっているからである。ところが、それについての自覚もないままに、采配を許された役についたことで思い上がり、人々の上に立っているなどということは、まったくもって不届至極と言わねばならない。》
武士は、いつ、どのような役につくかは主君のお考え次第である。いつ、どのような役につくことになっても安心できるように日頃から準備せよと誡める。なぜなら不測の事態が起きた時には人に頼ることは出来ない。自分一人の判断で処理しならず、役目に相応しい力が必要とされる。
使い番程のものであれば、合戦の勝敗を判断するまでの能力が必要であり、さらに足軽大将より上の役では技量のすぐれた者が技量の劣った者を討つのが戦場の習いであり、部下の生死を預かっていることを自覚できなければならない。
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