2014年4月13日日曜日

心得 第十四 「戦乱に備えて油断怠りな」

《右にいう士法、兵法の二つの修行さえできあがっていれば、平時においては、何の不足もなく、一般から見ればまことに立派な武士、よいご家来と思われるものである。
しかしながら、本来、武士とは"変"のときのための職分である。"変"とは世間の騒動のことをいう。
そのような場合には、"甲冑礼なし"のことばどおり、日ごろの士法はしばらく離れて、普段ならばご主君様、殿様などとお呼びしている方を御大将と申し上げ、家中大小の侍たちを軍兵、士卒などと呼び、上下ともに礼服を脱ぎ捨てて身には甲冑をまとい、手には武器を携えて敵陣に向かって進む。この態勢を軍陣という。こうした際の、さまざまなやり方についての教えを軍法と呼ぶのであり、これを知らぬということがあってはならない。
次に戦法というのは、いざ、敵と味方が出会って一戦が始まろうというときに、味方の陣の配置、兵の動かし方に成功すれば勝利をうることができ、これに失敗すれば勝利を失って敗北するというのが決まりである。そのやり方についての教え、秘伝といったことを戦法といい、これもまた知らずに済ましているわけにはいかぬものである。この軍法、戦法の二つにより、変法には二段ありというわけである。
右に述べた常法、変法の四段の修行を完成した武士を最高の侍というのである。常法の二段だけが身についていれば、自分ひとりだけでの勤めならば、間に合うものであるが、士大将、物頭、奉行といった重い職分につくには、変法の二段についての心得が不十分であっては、お役に立つことができない。
ここのところをよくよく考えて、どうせ武士の身分にあるからには、士法、兵法についてはいうまでもなく、軍法、戦法の奥義にいたるまでも修行につとめ、なんとしても最高の侍と呼ばれるまでになりたいものと、及ばぬまでも努力する心がけが大切なのである。
以上、初心の武士の心得として申すものである。》

本来、武士とは"変"のときのための職分である》ということである。〈変〉の時に備え、用心することによって武士の本分は全うされる。〈変〉に対する備えは、〈変〉における陣の配置、兵の動かし方にあるという。つまり〈変〉の時とは、異〈常〉の時であり、〈常〉の時には現れない、人の本性が現れる時である。そのことを踏まえて陣を敷き、戦法を組み立てるという。戦法は先人の教え秘伝の中にあり、歴史に学ぶことを重視する。〈変〉の時の備えができて初めて上品の武士と言えるのだという。

0 件のコメント:

コメントを投稿