2014年4月14日月曜日

心得 第十五 「選ぶ基準は実用本位で」

遠い昔にあっては、武士道を弓馬の道といったほどで、大身小身共に弓を射、馬に乗ることを武芸の中心としていたということである。
現代における武士は、剣術、槍術、さらには馬術を重んじて、修業につとめるようになってきた。
そのほか、弓、鉄砲、居合、柔術などといった各種の武芸についても年若い武士としては、朝夕のつとめとして習熟することが望ましい。年を取ってしまってからでは、筋骨も弱まってしまうので、何を習っても思うようにはいかぬものである。
とりわけ小身の武士としては、馬術については十分な修練を積みたとえ非常に欠陥があったり、または手に負えぬような馬であっても、いっこうにさしつかえなく乗りこなせるようでありたい
それというのは、乗りごこちがよくて、しかも外見のよい馬などというものは、めったにいるものではなく、たとえいたとしても、大身の武士の乗り料となって、小身の武士の厩につなぐことは出来ないからである。
馬術さえよく身につけているならば、これはよい馬だが欠陥があるとか、悪癖があって人に乗られることをいやがるような馬を見つけて、安価に買い求め、乗り料とするならば、いつも財産不相応なほどのよい馬をもっているのと同様なわけである。
そもそも、馬の毛色の好き嫌いや、毛の色取りの欠陥などを大きく問題とするのは大身の武士のすることであって、小身の武士としては、自分の好みに合わぬ毛色や、色どりに欠陥があって人の嫌うような馬であっても、乗り料としてすぐれてさえいれば、これを買い求めて飼う心がけが望ましい
昔、信州村上家(旧つ葛尾城主・武田信玄に破れて越後に逃れた)の侍大将に、額岩寺某といって、三百騎ほどの手勢を持つ、合戦上手の武士があった。彼は自分の乗り料にも家中の馬にも世間で嫌うような毛色の馬をも平気で買い求めて飼うような家風をつくりあげ、乗馬の練習には馬場を使わず、城下の広い野に五十騎、百騎とうちつれて出かけ、額岩寺が先頭を切って原の中を縦横十文字に駆けめぐり、馬から落ちるかと思えば飛び乗り、乗るかと思えば飛びおりるなど自由自在に乗りこなすものほめ、未熟なものを馬下手としたものである。こうしたわけで、当時、甲州の武田信玄の家中においても、信州の額岩寺のような敵に対しては、厳重な偵察をせねばならぬといわれていたが、これは額岩寺にとて非常な武道のほまれといえよう。
又、武士が戦場で乗るための馬は、気性は中の上ほど、体高は四尺一寸から三寸まで、頭の高さは中ぐらい、後脚の間隔は中程度がよいとされている。ところが予備の馬を持つことも出来ぬ小身の武士が、ただ一頭の持ち馬を選ぶのに、気性はげしく体高が高く、頭の位置も高く、五脚の間が一間もあるような大きなものを喜び、前足の筋を切ったり尾を切るなどして、生まれもかつぬかたわ馬にして喜んでいるなどは、すべて武士本来の道をはずれた無知から生じた道楽といえよう。

なぜならば四肢の筋を切った馬は、山道、長途の歩行、あるいは川を渡るといった時に早く疲れて役に立たない。又尾を切った馬は、溝や堀などを飛び越えるときに、決まって尻がいがはずれがちなものである。また五脚の間が広すぎる馬は、細道を通るのによろしくない、というのが古来からいわれているところだからである。

物によって、身を高めるのではなく、業によって身を高めることを説いている。物持ちとなれる大身の武士には、物で飾ることは出来るが、小身の武士には分不相応になる。従って戦場で武士として十分な働きをするためには技を磨けという。つまり自分を高めることを勧めている。
額岩寺がその働きを武田の家中におそれられたことを武士の誉れとしたことを例に挙げ、実用本位の馬の選び方を説いている。要するに、〈質実剛健〉、本分に基づいて生活を整えることを勧める。

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