2014年4月16日水曜日

心得 第十七 「太平の世における堕落」

本著の訳者 吉田豊氏は「風習が形式化していく」ことについて、次のように言う。
《太平の世が続くなかで、戦国以来の風習が次第と形式化し、その本質が見失われていくことに、友山は警鐘を鳴らしている。合戦の道具であったはずの馬が、単なるステイタス・シンボルに代わり、さては利殖の手段とさえなっていく世相は、現代のモータリゼーションと一脈通ずる愚かしさを感じさせる。》という。
ステイタス・シンボル化が進めば、形式は独り歩きし、精神と離れる。そこに偽装が始まる。
太平の世とは、〈常法〉のときである。それはまた技能を養成する時である。「士農工商」の最上位に位置づけられた武士はその本分を忘れてはならない。
〈変法〉の為に養育した能力を使うべきところに使わず、間違ったもの(利殖)に使うと、武士の本分である忠義の精神が損なわれる。それを〈迷う〉といって避けた。
間違って精神が〈刀が鈍になる〉ことを懼れ、武士は清貧を尊んだのである。

この講を記している今日、「科学」の健全性について警告を発している記事が朝日新聞デジタルに掲載された。その原因が《科学の商業化》にあるというのである。瞑目すべきである。

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