《武士という者は、いても立っても、四六時中の間、勝負の心構えを忘れることなく暮らすことが、何よりも大切とされている。
わが国においては、外国と違って、どれほど身分の低い町人、百姓、商人風情のものであっても、それ相応に錆びた脇差の一本ずつも所持するが、これは武の国、日本独特の風俗であって、永遠に変わることのない神聖な伝統である。
しかしながら、農工商に身分の者にあっては、武道をその天職としているわけではない。これに対して、武家にあっては、たとえもっとも身分の低い小者、中間、人足のたぐいにいたるまでも、常に脇差を身から離してはならないのがおきてである。
ましてや侍以上の身分の者は、どんなときにも腰から刃物をはずしてはならぬとされている。それであるから、心がけのよい武士は、入浴の場所にまでも、刃をなくした刀や、あるいは木刀などを用意しておくというが、これも勝負を忘れぬ心構えによるものである。
このように、自宅の中においてさえ、この心がけが必要なのであるから、まして、よそへ出かけて行く際には、往復の途上、又行った先に於いても、狂人、酒乱の者、またはどのような馬鹿者に出合って、不慮の事態となるかわからないということを覚悟せねばならないのである。古人のことばにも、「門を出るより敵を見るがごとく・・・」などといわれている。
武士の身として、腰に刀剣を帯びるからには、いかなるときにも勝負の心構えを忘れてよいというものではない。勝負の心構えを忘れなければ、自然と死を覚悟する心境にも通じることができる。
腰に刀剣を帯びていながら、勝負の心構えが常にできていないような侍は、武士の皮をかぶってはいても、町人、百姓と少しも変わらぬものといえよう。》
武士は常に佩剣した。これは武徳の国の神聖な伝統・風俗なのです。心に刃をあて、〈勝負の心構え〉を忘れませんでした。《好事魔多し》といわれるように、不慮の事態に合うこともある。そのような事態にも打ち勝つ(克服できる)力を旨としたのです。
《武徳の国》として語り継がれてきたのも本来〈優しく、弱い〉私たちを〈勇ましく、強く〉し、正しく働かせる為に生まれた知恵だと考えてはどうでしょう。
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