《身分の高い低いにかかわらず、人々の覚悟ができていないために、過食、大酒、淫乱等によって健康を損ね、内蔵の病気を起こしたりして、思わぬ若死にをし、たとえ生きてはいても、なんの用にも立たぬ病人となったりするのである。常に死を覚悟していさえすれば、まだ歳若く、健康ではあっても、普段から衛生に気をつけ、飲食をすごさず、色の道をも慎むように心がけるから、その身も健康となって、病気一つせずに長寿を保つことができるのである。
また死を遠い先にことと思えば、この世にいつまでもいられるものと考えるところからいろいろな欲望が起こり、人のものを欲しがり、わが物を惜しみ、まるきり百姓町人のような根性に成り果てるものである。常に死の覚悟を定めて置くならば、この世ははかないものと達観できるから、物事をむさぼる気持ちも自然と薄くなり、ほしい、惜しいといった汚い根性も、それほど出てこないものである。死を覚悟することによって人格までも向上するというのはこれをいうのである。
もっとも、死を覚悟するとはいっても、吉田兼好が徒然草に書いている心戒という僧のように、ただ一日中、自分の死を待ちかねて、ちぢこまっているようでは出家仏弟子の身で修行をするものの心がけとしてはともかく、武士の修行のあり方としてはふさわしいものではない。死というものをそのように考えていたのでは、主君や親に忠孝をつくすこともできず、武士としての職分も果たせないから、まことに困ったものである。
公私共に昼夜となく責任を果たして、いくらかからだに暇ができて心静かな時には、忘れず死の覚悟を新たにせよということなのである。楠正成が子息の正行に諭した言葉にも、「常に死をならえ」といったと聞いている。》
「死を覚悟することによって、物事を貪る気持ちがなくなり、汚い根性も出ず、人格が向上する」といっています。つまり、生に執着し、物欲を満たす道は、人格形成の道とは異なるものです。
〈生への執着〉が社会を発展させ、社会を成熟させた。少子高齢化はその帰結です。
モチベーションマネジメント、〈慎み〉が忘れられました。
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