2014年4月1日火曜日

「養生」ということ

近代化は自由意志による「営為」を重んじた。それは意図的に「創る」ことである。
自然の開拓は創意工夫によって進んだ。〈時間〉を創り出し、歴史を辿り、歴史からパターンを引出し、時間の単位を短くすることで、〈育つ〉〈養う〉ことを〈創る〉ことに換え、進歩を創り出した。

そして今、知育、徳育、体育が叫ばれ、人格をも創り出そうとしている。
格子を作り、「型」にはめようというわけである。人格の大量生産である。
帰結は、STAP細胞問題に現れた、常識の欠如である。
「大丈夫」?

「素養」がないのである。それは欠陥品ではないか。品格が貧格になったか!!
不味い!!!
「創生」ではなく、「育生」「養生」が求められるのではないかと思う。
『養生』というものは
「空手や武道を稽古し、小さいころ井ノ口の先生(大本教)や叔父(大本教の信者)に教えられたりしたが、生きる発想の原点は『西式健康法』だったと思う」とは私の兄の言である。
私も同様である。未だに〈木枕〉を愛用している。
西式健康法は叔父の中野好雄が我々一家に勧めていたものである。
  
  1)人は直立歩行する
  2)人は衣服をまとう
  3)人は家に住む
  4)人は火食する
  5)人は文化生活を行う
  6)人は社会生活を行う
  7)人は生存競争をする
  以上の7つの人間と動物の違いが人体に及ぼす害を緩和するように考案された運動や食事療法を行う。


改めて、〈養生〉という事を考えてみる。
そこで『養生訓』(参照元:http://home.att.ne.jp/theta/mo/you/zenbun.html)
我々の健康感がどう育てられたかを考えてみる。

0 件のコメント:

コメントを投稿