2014年5月8日木曜日

心得 第三十七 「我が国の伝統を見失うな」

学問、風流もときに大害の一項でる。


《武士道においては、力強くたくましい気風を第一に重んじることはもちろんであるが、ただひたすらに強いというだけであっては、あまりに教養に欠け、何か百姓上がりの武士を見るようで好ましいとはいえない。学問、歌道、茶の湯といったことは別に武芸のうちにはいるものではないが、こうしたことについても少しずつは心得ておきたいものである。
まず学問であるが、これを心得ていないことには、古今の物語の意味を知り、判断を下すことができないから、日常のことについてはいろいろと知っていて賢そうに見えてもこととしだいによっては判断のつきかねることが起こらぬとも限らない。異国のこと、我が国のことについて、いろいろな知識を持ち、実際の場においては時期、立場、力関係などを総合的に考え合わせてその知識を活用し、事態に対処していくならば、失敗ということもそれほどは起きないものである。しかしながら、間違った心構えで学問をした者は、たいてい高慢になって、たとえどれほど意志強固で立派な武士に対しても、その人が無学文盲であれば、それだけで軽蔑するものである。その上、中国風ばかりがよいものと思い込み、理屈はよいが、我が国の現状では役に立たぬようなことを思慮もなく、むきになって主張し続けるなど、まことに困り果てたことである。
なぜならば我が国においては、古来から名人、君子といわれる立派な人々が数多くおられて、その人々が中国はもとより、遠くインドの地のことまでも詳しく調べ上げ、さらには直接に人を使わして検分した結果を、我が国の国情に合わせてとり入れ、日本の国のあり方をつくりあげてきたのである。こうして日本六十余州を、ただお一人の天子によって治めること、三種の神器による皇位の継承、御摂家をはじめとする華族の制度などを定め、公家と平民の差別を明らかにした。これらはすべて日本独自の制度である。それだけではなくて、男女の服装、衣服や家の構造、諸道具の作り方に至るまで、さまざまなことに心を配り異国の習慣と採り入れながらも、それをすべて作り変えて、万事にわたって中国とは異なった日本独自の文化をうちたてたのであり、これこそが永遠に守るべき神道の国日本の姿なのである。こうしたことは、私などのいたらぬ判断によっても推察のつくところである。
ところが、近頃の若い武士の中には、学問のやり方を間違えて、何事によらず中国風が最高と思い込み、我が祖国である日本の文化を軽視するような者がいるが、こうなってしまっては、全くの無学文盲の武士が武勇一筋に凝り固まっているのに比べて、はるかに劣っているといわねばならない。学問をするに当たっては、ここのところをよくよく考えることが必要であろう。》

武士の本来性を失うな、秩序を重んじ生きよと説く。
本来とは《もともとそうであること》であり、秩序は伝統の中に育まれている。
中国とは異なる日本独自の伝統秩序を先祖は作り上げ、神道の国日本の姿とした。
学問、歌道、茶の湯といった》ものにも生きている先人の教えを学び体現せよというのである。
ここには〈祖先崇拝〉、〈報恩〉の思想がある。
「〈文徳〉を重んじた中国と〈武徳〉を重んじた日本に中国と日本の違いがある」と謂われる。。
「なぜ、〈武徳〉を重んじたのか」。
それは、日本人が本来、根が優しいからではないかと私は思う。
〈文徳〉と優しさは相性が良い。そのために優しさ・弱さに偏することがある。その優しさ・弱さを補完するために武徳を重んじ、文武両道を説いたと考えるのである。
津軽耕道子士道』では次のように言って居る。
日中相互の風土の根源に基づく民族の心の型のようなものとして、文徳の仁、武徳の義を対比させ、中国的な文の心に対する日本的な心として武の心を対置するのであるから、これはまさしく、日本的なものの総綱(大本)としての武である。絶対としての武徳であって、文武総体の武徳ではない。素行をはじめとする儒教武学者たちが、何となく文徳の側に武徳を引き寄せ、武徳の実質を文徳に換骨奪胎してゆく議論のすり替えのようなものが、ここには全くない。逆に、太極とも根源ともいえる武徳のあらわれようとして文が位置づけられる。武の用を義とするところから、文の用としての仁もまた、ここでは義の用という風に考える哲学が開けることになる。




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