「どこかで人に差をつけよ」の一項である。
《武士という者は、大身小身を問わず、勝つという文字の意味をよく理解しておかなければならない。”勝つ”という文字は”すぐれる”と読むのであって、なんにせよ人にすぐれたところがなくては、立派な武士ということはできないのである。例えば、さまざまな武芸などについても長年、努力を重ねて修練し、名人とまではいかなくとも、せめて上手といわれるほどに腕をあげるならば、人にすぐれた武士ということができる。また主君への奉公についても、たくさんの同僚の水準より上をいって、人々の目から見てもまことにみごとな勤めぶりとうつるようであれば、これがすぐれた勤め方である。
とりわけ大切なのは戦時の際であって、戦場においても、人々の行くところならば自分も行く、人々が持ちこたえているところならば自分も持ちこたえるといった状態では、別に感心もされず、ほめられもしない。
そうではなくて、味方の人々が進むのをためらっているような場合にも、ただ一人、突き進んで行き、味方の人々がもはや持ちこたえられない場所にも、ただ一人踏みとどまってたたかってこそ、人にすぐれた剛勇の武士と呼ばれるのである。
そのほか、なにごとについても、人にすぐれようとする意欲がないことには、人なみのことさえできないものと心得て、万事につき、心をこめて努力することが大切である。》
すぐれる(優れる、勝れる、選れる)には三つの表記がある。
ここでは〈勝〉について説いている。勝れ→選れる道理を説いている。
ここでは〈勝〉について説いている。勝れ→選れる道理を説いている。
立派《一派を立てる意から。一説に「立破」の音から》に成るには、上手《物事のやり方が巧みで、手際のよいこと》と認められるような、衆目の基準を超えた、ぬきん(抜きん、抽ん、擢ん)《ひときわ高く出る。ひときわすぐれる。秀でる。》でた心技体(知識・技能・態度)が必要である。
《千万人と雖も吾往かん》、孤高《俗世を間から離れて、ひとり自分の志を守ること。》を貫く心構えを身に付ることである。そのような剛勇《人並みはずれて,強く勇気がある・こと》と呼ばれるためにはまず〈勝〉という意欲を養うよう努力せよと説いている。
《千万人と雖も吾往かん》、孤高《俗世を間から離れて、ひとり自分の志を守ること。》を貫く心構えを身に付ることである。そのような剛勇《人並みはずれて,強く勇気がある・こと》と呼ばれるためにはまず〈勝〉という意欲を養うよう努力せよと説いている。
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