「主君のご威光を借りる法」の一項である。
《武士の奉公においては、主君の御威光を借りるという場合があり、また主君の御威光を盗むという者もある。また主君のお立場から見れば、家来に対して威光をお貸しになるということもあれば、また家来のために威光を盗まれるという場合もあるのである。これはどういうことであろうか。武士として重い役目を仰せつかったが、まだ年が若かったり、小身であったり、あるいは家中の気風なり、その時の事情なりによって、主君の御威光をかさに着て働かなければ、その責任を果たすことができないという場合があるものである。そうした時には、結局は主君のためになることであるから、主君の御威光をお借りして、自分に権威をつけ、それによって任務を果たしていくのだ。これが主君の御威光をお借りするということである。
そのようにして、人々からも重んじられ、支障なくお役を勤めることができるようになったならば、最初お借りした主君の御威光はいち早くお返しして自分の職分に応じた権威によってその責任を果たしていくことが望ましい。ところが、主君の威光をお借りしていることによって、同僚の間ではもとより、他家、他藩の人々からも、あれは誰様の身内の何様などと大切に扱われ、幅がきくことを喜ぶものがある。また、人々から重んじられれば、それに伴ってのいろいろな利益も大きく、その欲にひかれて、しまいには主君の御威光を自分のもののようにしてしまうことがあるが、これを”主君の威光を盗む”というのである。》
奉公には公主の威光が必要である。その威光は職責を果たす為に必要とされ、また職責を果たすことによって身に付くものである。
家制度、封建制度を成立させた権威・威光のもとにある武士は、《お蔭さま》の存在なのである。
職分に応じた権威を身に着けることが武士の勤めである。
《身分、職分、気分が与えられて自分になる》と謂われる所以である。
今日的管理論からは「権限と責任照応の原則」を説いていると考えられる。
「《虎の威を借る狐》になるな」と誡めている。擬装で終わってはいけないのだ。
今日の資格制度による擬装社会は、封建社会の身分制度を笑うことは出来ない。
「坂の上の雲」を目指した気分・精神は今日以上のものであったかもしれない。
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