2011年2月23日水曜日

直情径行の気質と陽明学

直情径行とは「自分の思うままに行動して相手の立場を思いやらないこと。礼儀知らず。」である。
英語では、「be honest in one's actions / be of a straightforward disposition」となる。
類義語として直言直行(ちょくげんちょっこう) / 猪突猛進(ちょとつもうしん)が挙げられている。
直言直行とは「思ったことははっきり言い、考えたことをそのまま行うこと。自分の気持ちを、そのまま言行に反映させるという意」であり、陽明学の求めた「知行一致」である。明治維新を先導する力となった。
しかし、「直言直行」は、視界が曇り、独断と偏見に陥ったとき、また視界が狭くなり、他者への配慮、客観的な思考を無視したとき、「直情径行」となる。
近代化を急ぐ日本の象徴的な行動様式となった。無心に近代化を求めた日本人の姿がそこに現れたのである。無心であったから、それだからこそ、径行に走ったのであろう。
無心には二つのとらえ方がある。ひとつは「固定的なとらわれがなくなった状態、あるいは心に何のわだかまりもなく素直であること、自然ままに虚心であるさま」とするもので、「無心に遊ぶ子供」といった表現で用いられ、無私、無欲と同義とされ、武道では境地の一つとされた。しかし、日常生活における「無心」は「ある方面についての心の働きが欠けていること」であり、大人げない行為であり、依存的な態度の一つなのである。その側面に無頓着であったこと、それが日本の無神経さであったのである。
こうした態度をまた短絡的という。径行とは「まげないで(他を無視して)行うこと」、短絡とは、「事柄の本質を無視して刺激と反応、問いと答えを簡単に結びつけてしまうこと」である。その態度において、「無視する」という共通点を持つ。
効率化には、径行と短絡は有効である。機械的に試行錯誤を繰り返し、問いと答えを結びつければよいのである。径行は最短距離を行くことであり、短絡は電位差をゼロにする。径行も短絡も無駄を無くす。結果は差がなくなり、同位が実現され、フラットになる。


無心、無神経、無私、無欲、無視、すべて実在しない物である。言葉と同様に、しかし人は実感し、その意味をつかむことができる。行動もそうである。働きとして、対象物に作用を及ぼしたとき、存在が顕わになる。


自主的行動とは、他に依存しない行動であり、それ自体で存在する行動である。自律的行動である。認められるものであって作用するものではない。行動が他に作用するとき、働きとなり、働きが目的において機能となる。
経行という言葉がある。「めぐり行くこと。過ぎ行くこと。」である。経験を積み、人生を味わい意味を見つけ出す行動であろうか。また啓行という言葉もある。「先にたって道を開くこと」とある。人生、社会を豊かにするのは径行ではなく、経行であり、啓行である。
なぜ、誠が中心課題となったのか。
誠が中心課題とされたのは、この直情径行を避け”直言直行”を実現するためであったのではないか。
思はしと思ふも物を思ふなり 思はじとだに思はしやきみ」と心身一如を追求した。
思考をこらすことは迷いを生ずることであり、間髪を入れず、無心で行動することが求められた。無私、無思が極意(位)であった。しかし、行動が正しいものであるかどうか、質すことが必要である。無思ではその行動を正すことはできない。
その働きを誠に求めたのである。言葉と行動を一致させることに求めたのである。実証である。言葉に表し、認識を明らかにし、認識を行動に置き換え、言葉と行動の一致を正しいとしたのである。言葉によって行動が正されたのである。
言葉を規定し、言葉に準じて行動を規制するようになった。しかしそれは、法が制定され、法によって、心が裁かれるようになったことを意味する。自由であった心が法によって取り締まられるものになったのである。
徳治から法治への移行である。


ミチと同じである。
神経という言葉もおもしろい感じの組み合わせである。
神経とは「『神気の径脈』という意から杉田玄白が『解体新書』の中で用いた語」とされる。
動物体の各部の機能を統率し、又各部と中枢との間の刺激伝達の経路となる器官の総称。繊維状の構造をもって網のように全身に分布し、いくつかの神経系を作る。
「天網恢々疎にして漏らさず」(「老子」73章から)が思い出される。これは「天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ」で、神経と玄白が名づけたときにはそこに神の存在が意識され、それが「心のはたらき、気持ち、知覚、精神」を表現するものとなったのであろう。
われわれの心の働きは神の働きと不分離なものであり、「心即理」というのも、心=神=真=理という関係の中で捉えることができる。心理は神理であり、それは真理である。

0 件のコメント:

コメントを投稿