やはり服属の証しですね。このように芸能それ自身が政治の世界に持ち込まれるというか、政治と癒着したした芸能になってゆく性格が古代国家の成立に伴う芸能の発展過程では、非常に強いと思いますね。
道を行く者と、訪れてくる者を迎える者との出会いが大切になって、一期一会といった感じがどうしても出てきますね。だから日本の文化というのは、思想も芸も信仰も一カ所に土着して、根を張って勢力を広げていくというのではないんだと思うんです。たえず、どこからかやって来て、また去って行く。その会い方と別れ方を非常に大事にする特徴を持っているんです。これは世界でも珍しいコミュニケーション型の文化だといえますし、だからもともと日本の文化といえば道の文化だし、日本の思想といえば道の思想だと、私は思うんです。定着してしまう文化はどうもだめになるという気がします。
こう考えてみると、日本人の仏教に対する受け止め方は、仏像を一応礼拝の対象にはしていても非常に形式化したものだったと思うのです。それに対して神の方は、もっと日常生活に密着していた。仏教の方では仏像があってお祭りしてあるのに、神は遊行するものだから、静止した像というべきものはなかった。私の考えでは、人間がその代行をつとめたので神はお面だったと思うんです。能面のように人間がかぶる面(仮面)としてあった。そしてその面みたいなものが、やがて芸能の上で盛んに使われるようになっていく。
平安仏教を見ると、こうした最澄的な、対決的な生き方と、空海的な調和的な生き方があって、日本の仏道の二つの系列を象徴するように思いますね。ここで面白いのは、だいたい最澄は近江の出身ですし、布教したのも東国の方が中心のようです。一方、空海は讃岐、佐伯国造の佐伯値の出ですから、出身地も西、基盤も西ということになります。
芸能でいっても荒事と和事といいますか、東日本型、西日本型に分かれますね。・・・仏教の展開を見ても、芸能の展開を見てもどうも二つの型があります。東男に京女、近松・西鶴の上方芸能の世界と、江戸を中心とした芸能の世界の違いもこれですね。仏法でいえば、不動明王の信仰は東日本に圧倒的に多いし、西日本は観音信仰です。だから西国三十三カ所というけれど、全部観音様です。
私は、仏教が入ってくる前までの日本にはあまり歴史意識というのがなかったんじゃないかという気がしているんです。つまり、「永遠の今」といった意識だけがあるわけで、現世は今だけれども、そこへ客のように永遠が、神が訪れてきて、それで「永遠の今」が成り立つという感じですね。だから「古事記」「日本書紀」も――むろん仏教はもっと前に入っていますが――確かに修史事業には違いないけれども、その中には歴史意識があまりないと思うのです。仏教が入ってきて、仏教のもっていた一種の終末史観がこなされたものが日本人のもった最初の歴史意識だと思います。「古事記」「日本書紀」と、仏教を取り入れてから後の「愚管抄」、鏡ものでは歴史意識の点で変質があるような気がするんです。
道教というのは、確かにおもしろいですね。日本では、正史の上には出てこないで、隠れた方に百大夫とか何とか、やたらと出てくる。道ということでいえば、やはり道教ですしね。始めなく終わりなく名づけがたきものをあえて道と名づくということですからね。
神道の道というのは、本来きわめて道教的ですね。道教の思想というのは、民間信仰に非常のスムーズに密着していきます。神道の自然の道という感覚とですね。
「古今集」の世界では、桜花爛漫たる花にはあまりあわれを感じないで、散る花、散華にあわれを感じる。こうした平安朝以来の花の思想みたいなものが、花道にあるような気がします。六方を踏む。、見得を切る、そういう華麗さとともに、潔さみたいなものが潜んでいる。だから、引退する政治家が花道を飾るといったり、あるいは男の花道とか特効隊の散華の思想とかにも共通する心情が出てくるのじゃないでしょうか。
日本には雪月花の思想というのがあります。雪月花の共通点は何かというと、結局、雪は消えるし、月は欠け、花は散るということです。つまり、形がなくなるもの、長く続かないところに、日本人は美を感じてきているのです。
兼好は、非常に短い、限られた人生を歩いていく人間の思いをいっているのですね。前にも言ったように、仏教が入ってくる前と後とでは、日本人の意識が変わったと思うのですが、人生は有限だから、不完全さというものはどこまでもつきまとう。だけど、それこそが真実だ、とこういうわけです。
結局、完結したものは道とはならないということでしょうか。つまり未完であって、連続していくわけで、はじめもなく、終わりもなしという、これがまさに「道は常に無名」ということですね。
仏教を考えてみると、二つに分かれますね。密教と顕教ということもあるし、また同じ鎌倉仏教から出ても、同じ浄土宗の中で鎮護国家の方向へ行く蓮如と、聖の方に徹しきる一遍といった具合に。私の考えでは、この一遍のような行き方が、道の思想だと思いますね。しかも芸能に結びついていくのも、こうした遊行の方です。一遍の時宗は、中世賤民の芸と深い関係を持っています。念仏踊りというのが、まさに象徴的ですが、これは日本の原点みたいな気がします。
本来の寺衆の精神というのは、道行の思想を日本的に体現したものであるということですね。だから男の花道だけでなく、女の花道、人類の花道、つまり人類の道行をいかに創造していくか。最初にもいいましたように「道は未だ知られざる"未知"」でもあって、未完の道の思想、これにはたくましい創造性があります。そういう点からの道の再発見が大事だということになりますね。
神道のことを考えてみますと、仏教は一つの規範としてできあがったものとして入ってきたのに反して、日本にはそういう体系だったものがなかった。結局、神の行動のあとをずっとつづり合わせたものが、あるかなしかだった。神道はいわば神の履歴書です。神の踏んだ跡それが神道です。
明治以降の国家神道は神仏分離で仏教的な要素を排除し、国民道徳の中心みたいにした点で、もっとも神道的ではなかったといえますね。仏をも排除しないのが、日本神道のユニークなところです。神道の強さは、ある意味でこの点にあると思います。対決の論理をもっているものは、対決の論理によって倒されるわけですから。それを持たぬものは転向が極めて可能です。表面では、崇仏論争とか対決しているように見えて、実は相手の論理を取り入れているわけです。これは未完の強さともいえます。完結した論理はむしろ弱いですね。
仏教に話を戻せば、最澄はある意味では未完です。だから天台の教えからは、法然、親鸞、日蓮などが出てくる。これに反して空海は非常に偉大で、もう完結しているから、密教は広まるけれども、空海の後にはあまり傑僧が出てこない。
学問も未知の世界に挑むことであって、完結した既知の世界は物知りをつくるだけだということですね。
日本神道の弱さは対決の論理を持たなかったことですが、それがまさに強さにもなっているわけです。しかし、それが無意識になっていることが恐ろしいんです。もっとそれを自覚していけば、強さが強さとなり弱さが弱さになる。自覚されていないために、非常に都合よく権力に利用されるということになるんじゃないですか。
道の思想とは、もともと遊行し、フィードバックする。受け身で自分の中に閉じこもっては伝統には成らず、伝承に過ぎないわけです。伝統というものは、常に創造的要素があってはじめて成り立つものではないでしょうか。日本の<みち>の強さ、<どう>の弱さというものをわれわれはもっと認識する必要があると思います。
江戸のはじめの日本文化の大きな部分は、明末の渡来民が支えている。たとえば歌舞伎の発達に及ぼした影響というのは非常に大きいわけです。それから隠元が来て黄檗宗が入ってくる、それとともに煎茶の方法というものも入ってくるわけです。だから、日本の文化、宗教、芸能にしてもみな大陸に道があったからこそ、今日あるのです。やはり、基本的には、閉ざされた道ではなく、開かれた道であったということが大事だと思います。
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