2011年2月17日木曜日

日本の道_1(「現代の道」)

古い道・新しい道
人々の体験を基礎にして規範をつくるのだ。このような「道」のあり方が、日本の「道」に関する考え方の根本にあった。
道が歴史の産物ではなくなったところに現代社会の課題がある。
道の分岐と統一
「道」は「法」に対立、また「法」の解体のあとに生まれる。人間が法に代わる自己規制の方法を体験の中に求めるとき、道が出現する。
中世になると自己や祖先の体験に頼るほかなく、その踏み来たった跡として「道」が尊重されてきたのである。
しかし、その「道」はまことに多岐であった。我が道を行くというように、各個人ごとに異なった道がありえたからである。そこから道の論理が考え出されるようになった。それが「道理」である。
天下統一と道の統一
多岐にわたる道の統一のために、中世の末には「天道」という考え方も現れた。先の天意と道とを結びつけ道を再び天意で統一しようというのである。天下統一という政治的理想はそこから生まれてきたといってもよい。
多岐なる道を切り捨てて一本の大道に統一したのは、朱子学にいう大義名分、則ち封建的な主従観念であった。則ち、封建的な主従観念であった。義理の道である。
「公」とは何か
道理が義理に集約されると、芸能の道もまたすべて義理で統一される。
主従関係は結局、私的な道である。江戸時代には、それに最高の価値を認めたのであった。
文治政治とともに殉死を禁ずるようになったとき、義理の価値は次第人情によって変えられていく。殉死よりも情死すなわち「心中」が、人の心をとらえるようになった。
義理の道に対して、近松は人情の道を掲げ、芭蕉は風雅の道を説き、西鶴は商いの道を掲げた。義理の道はその絶対的位置を譲るようになる。幕府は三度も改革(享保、寛政・天保)の名で、義理の巻き返しを行ったが、人々は次第に私的な道に批判を向け始めていた。
明治の時代は、封建という私的な関係の否定に始まった。そこから「公」という原理が生まれた。
・・・往来の道も」天下の公道」などと呼ばれたのである。
・・・公の原理によって、道もまた理解されるようになった。
・・・この公道を正しく公共の意味に安定させることが、平和につながる道でもあろう。

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