近代化の方向の中に現在のわれわれがいかに位置するかを知るためには、この百年、われわれが武士的なものをいかに克服し得たかを知る必要があろう。われわれ自身との対決の姿勢を欠くにおいては、武士的なものがその核心において克服されることなく、単になし崩しに表面から姿を消したというにとどまる。もしそうであれば、われわれはこの百年をはじめから出直さなければならないのではないであろうか。しかして、その手続の第一として、われわれは先ず武士的なるものそのものの理解からはじめなければならないであろうか。
少なくとも、主従関係の場において望ましい生き方として自覚された徳性は、他の人間関係の場にも、形を変えて、望ましいあり方として要請された。主従関係にとらわれることなく、関心を広く武士の生活全般にひらき、いかなる場に生きようとも、武士としてのあるべきあり方として常に要請されたもの、そして武士の身についたもの――今これを武士の道徳的気質と呼べば、このような武士の気質をこそここでは問題にしたい。深く、武士を通して日本人の内面に沈殿したものをここでは問題としたい。
この百年、われわれが武士的なものをいかなる深さにおいて克服し得たかということは、依然問題として残されてくる。伝統を否定するが、これに代わるべき新しいものを生み出し得ないというのが現代の人類一般の傾向であるといわれるが、ことわれわれ日本に関して、武士道に代わるべき新しい何物もまだしっかりと捉えていないという事実は、われわれの祖先の武士的なものへの批判の徹底性に疑問を抱かせるに十分である。
この百年、われわれが武士的なものをいかなる深さにおいて克服し得たかということは、われわれがこの百年、近代化の方向に自らの精神をいかに変革し得たかということを示すものではないであろうか。
近代化の方向の中に現在のわれわれがいかに位置するかを知るためには、この百年、われわれが武士的なものをいかに克服し得たかを知る必要があろう。
われわれ自身との対決の姿勢を欠くにおいては、武士的なものがその核心において克服されることなく、単になし崩しに表面から姿を消したというにとどまる。もしそうであれば、われわれはこの百年をはじめから出直さなければならないのではないであろうか。
しかして、その手続の第一として、われわれは先ず武士的なるものそのものの理解からはじめなければならないであろうか。
少なくとも、主従関係の場において望ましい生き方として自覚された徳性は、他の人間関係の場にも、形を変えて、望ましいあり方として要請された。主従関係にとらわれることなく、関心を広く武士の生活全般にひらき、いかなる場に生きようとも、武士としてのあるべきあり方として常に要請されたもの、そして武士の身についたもの――今これを武士の道徳的気質と呼べば、このような武士の気質をこそここでは問題にしたい。深く、武士を通して日本人の内面に沈殿したものをここでは問題としたい。
この百年、われわれが武士的なものをいかなる深さにおいて克服し得たかということは、依然問題として残されてくる。伝統を否定するが、これに代わるべき新しいものを生み出し得ないというのが現代の人類一般の傾向であるといわれるが、ことわれわれ日本に関して、武士道に代わるべき新しい何物もまだしっかりと捉えていないという事実は、われわれの祖先の武士的なものへの批判の徹底性に疑問を抱かせるに十分である。
この百年、われわれが武士的なものをいかなる深さにおいて克服し得たかということは、われわれがこの百年、近代化の方向に自らの精神をいかに変革し得たかということを示すものではないであろうか。
近代化の方向の中に現在のわれわれがいかに位置するかを知るためには、この百年、われわれが武士的なものをいかに克服し得たかを知る必要があろう。
われわれ自身との対決の姿勢を欠くにおいては、武士的なものがその核心において克服されることなく、単になし崩しに表面から姿を消したというにとどまる。もしそうであれば、われわれはこの百年をはじめから出直さなければならないのではないであろうか。
しかして、その手続の第一として、われわれは先ず武士的なるものそのものの理解からはじめなければならないであろうか。
新渡戸は、封建時代の子たる武士道は、その母たる制度の死んだ後にも生き残り、一つの無意識ではあるが抵抗しがたい力として、国民および個人を動かしてきたという。武士道が我が国民性の短所についても大いに責任があることを認めていた。また道徳思想として十分に成熟せず、今や武士道の日は暮れつつあることを認めていた。しかし、武士道は完全に絶滅するものでもなく、また絶滅すべきものでもなく、その香気は、新道徳に受け継がれなければならなかった。また、必ず受け継がれるであろうとも考えられた。
ありのままをよしとする武士の精神を理解し批判するためには、その歴史的な形成過程を考えなければならない。ありのままを尊重する精神は戦国時代に特に顕著に自覚された。この戦国時代におけるありのままの精神の誕生を理解するためには、戦国以前の室町の武家貴族たちの生き方をまずあらかじめおさえておく必要がある。という。
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