鎌倉幕府の貞永式目が現実主義的傾向を多分にもつのに対して、室町の建武式目が、政道の理想を語り、興廃は政道の善悪によることを強く正面に押し出した。
足利尊氏を理想的な統率者として描こうとするときに、彼を道に事える者として捉えたところに、われわれは室町幕府の性格を端的に伺うことができる。
下克上とは、従来の権威・従来の秩序を否定することである。今の世にあっては器量がものをいうという意識が下克上という現象を押し出したのであった。
人心を己に引きつけ、人々の力を己の力として結集しうる器量が、上位に対しては下克上として現れ、下位に対しては、その下からの突き上げをしのぐ力として働いたのである。
「朝倉敏景十七箇条」第一条には「朝倉の家においては宿老を定むべからず、其の身の器用忠節によりて申し付くべきこと」とあり、その第二条には「代々持ち来たり候などとて、不器用の人にうちわに奉行職預けらるまじきこと」とある。
世を実力の世界と理解し、己の実力を自負し、実力を以て越前一国の実権を掌握した敏景にしてはじめて、その統治において高く能力主義をかかげることが出来たのである。
「主君の一心」という主君の器量にすべてが懸かるという確信は、彼の体験の中から得られた確信
頼もしい者は「文武両道」である。武は武略武芸であるが、文は道義性、人間的魅力である。この文と武とを一身に実現した者が頼もしいのである。
戦国の武将たちは、主君の一身に興廃が懸かると理解していた。つまり威勢は道の実現の中にのみ形成されると理解していた。
少なくとも、戦国武将において、正しさ・道理がその興廃をかけた切実さにおいて受け止められた
興廃を道義にかけたということにおいて、戦国武将が室町の武家貴族と異なるということ、しかして、その道義の受け止め方のこの切実さが、彼らのありのままをよしとする姿勢につながるということに注目したい。
下克上の世の武将は、頼もしそうに振る舞うのでなく、事実、頼もしくあらねばならぬのである。頼もしくならなければ滅亡あるのみなのである。
武士のあるべき姿を「早雲寺殿」は次のように捉えていた。「拝みをする事身のおこないなり。ただ心を直にやわらかに持ち、正直憲法にして上たるをば敬い、下たるをばあわれみ、あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持ち、仏意冥慮にもかなうと見えたり、たとい祈らずとも、この心持ちあらば、神明の加護之あるべし。いのるとも心まがらば天道にはなされ申さんとつつしむべし。
私心なく、あるべき道理をありのままに捉え行う心の常態、それがここにいう正直の徳なのであった。「早雲寺殿」の「正直憲法」「心を直にやわらかに持ち」「ありのままなる心持ち」が、この中世一般の正直に内容的につながるものである
有りのままの自己を以て世に伍しうる武士のみがありのままの事実に即して他を批判することが出来る。
日本の武士社会には、敵をも愛せよという考え方は生まれなかったが、敵をも敬えという思想は形成された。
敬意を表すべき優れた武士に対しては、敵味方の区別なく敬意を表すべきなのである。
言葉が真相をおおいかくすものと理解されるところにおいては、「理をいう」こと、いいわけをすることは武士としてあるまじき事と理解されてくる。
弁明・いいわけは武士のなすべきことではない。弁明・いいわけをしないことが、まさにありのままに生きる武士の生き方なのである。
徒に広言過言する武士、あすなろう武士として軽蔑される。
ただ証拠のない弁明を否定する武士の世界において、創意工夫が生まれにくかったことも指摘しておかなくてはならない。
客観的事実としての自己の外に自己を認めず、よくもわるくも自己の価値はこの事実において評価さるべきであるとするのが、ありのままを尊重する精神におけるもっとも注目すべき姿勢である。
このありのままには自負が支えになっていることを忘れてはならない。
事実性を重んじ、いいわけを潔しとしない精神は、ありのままの己を以て世に立つ精神である。
武士には内外の区別が存在せず、内外一体的な理解が働いていた。
近世の日本人は、人間が至誠に生きようとすれば、至誠たりうる可能性を信じていた。俯仰天地に恥じぬという自負もここから生まれ得たのである。
「男道のきっかけ」をはずさぬこと、それが武士の生命であったのである。
名・恥は、この一個の武士としての名・恥であり、
戦国武士は、このように、自分が尊敬に値する武士であることを自分自身が納得する事実――証拠を求めてやまなかった。証拠によって武士は自己自身をも評価するのである。事実・証拠を尊重する精神が武士にあったことについては既に明らかにしたが、その証拠尊重の精神が、武士の自己自身との関わりにも働いていることを、われわれは改めて注目しなければならない
「恥じ」を考えるとき、われわれは、その根柢に自他の一体性がひかえていることを知らなくてはならない。
武士が恥じたのは、自己でありまた明眼――尊敬すべき他者であったのである。
足利尊氏を理想的な統率者として描こうとするときに、彼を道に事える者として捉えたところに、われわれは室町幕府の性格を端的に伺うことができる。
下克上とは、従来の権威・従来の秩序を否定することである。今の世にあっては器量がものをいうという意識が下克上という現象を押し出したのであった。
人心を己に引きつけ、人々の力を己の力として結集しうる器量が、上位に対しては下克上として現れ、下位に対しては、その下からの突き上げをしのぐ力として働いたのである。
「朝倉敏景十七箇条」第一条には「朝倉の家においては宿老を定むべからず、其の身の器用忠節によりて申し付くべきこと」とあり、その第二条には「代々持ち来たり候などとて、不器用の人にうちわに奉行職預けらるまじきこと」とある。
世を実力の世界と理解し、己の実力を自負し、実力を以て越前一国の実権を掌握した敏景にしてはじめて、その統治において高く能力主義をかかげることが出来たのである。
「主君の一心」という主君の器量にすべてが懸かるという確信は、彼の体験の中から得られた確信
頼もしい者は「文武両道」である。武は武略武芸であるが、文は道義性、人間的魅力である。この文と武とを一身に実現した者が頼もしいのである。
戦国の武将たちは、主君の一身に興廃が懸かると理解していた。つまり威勢は道の実現の中にのみ形成されると理解していた。
少なくとも、戦国武将において、正しさ・道理がその興廃をかけた切実さにおいて受け止められた
興廃を道義にかけたということにおいて、戦国武将が室町の武家貴族と異なるということ、しかして、その道義の受け止め方のこの切実さが、彼らのありのままをよしとする姿勢につながるということに注目したい。
下克上の世の武将は、頼もしそうに振る舞うのでなく、事実、頼もしくあらねばならぬのである。頼もしくならなければ滅亡あるのみなのである。
武士のあるべき姿を「早雲寺殿」は次のように捉えていた。「拝みをする事身のおこないなり。ただ心を直にやわらかに持ち、正直憲法にして上たるをば敬い、下たるをばあわれみ、あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持ち、仏意冥慮にもかなうと見えたり、たとい祈らずとも、この心持ちあらば、神明の加護之あるべし。いのるとも心まがらば天道にはなされ申さんとつつしむべし。
私心なく、あるべき道理をありのままに捉え行う心の常態、それがここにいう正直の徳なのであった。「早雲寺殿」の「正直憲法」「心を直にやわらかに持ち」「ありのままなる心持ち」が、この中世一般の正直に内容的につながるものである
有りのままの自己を以て世に伍しうる武士のみがありのままの事実に即して他を批判することが出来る。
日本の武士社会には、敵をも愛せよという考え方は生まれなかったが、敵をも敬えという思想は形成された。
敬意を表すべき優れた武士に対しては、敵味方の区別なく敬意を表すべきなのである。
言葉が真相をおおいかくすものと理解されるところにおいては、「理をいう」こと、いいわけをすることは武士としてあるまじき事と理解されてくる。
弁明・いいわけは武士のなすべきことではない。弁明・いいわけをしないことが、まさにありのままに生きる武士の生き方なのである。
徒に広言過言する武士、あすなろう武士として軽蔑される。
ただ証拠のない弁明を否定する武士の世界において、創意工夫が生まれにくかったことも指摘しておかなくてはならない。
客観的事実としての自己の外に自己を認めず、よくもわるくも自己の価値はこの事実において評価さるべきであるとするのが、ありのままを尊重する精神におけるもっとも注目すべき姿勢である。
このありのままには自負が支えになっていることを忘れてはならない。
事実性を重んじ、いいわけを潔しとしない精神は、ありのままの己を以て世に立つ精神である。
武士には内外の区別が存在せず、内外一体的な理解が働いていた。
近世の日本人は、人間が至誠に生きようとすれば、至誠たりうる可能性を信じていた。俯仰天地に恥じぬという自負もここから生まれ得たのである。
「男道のきっかけ」をはずさぬこと、それが武士の生命であったのである。
名・恥は、この一個の武士としての名・恥であり、
戦国武士は、このように、自分が尊敬に値する武士であることを自分自身が納得する事実――証拠を求めてやまなかった。証拠によって武士は自己自身をも評価するのである。事実・証拠を尊重する精神が武士にあったことについては既に明らかにしたが、その証拠尊重の精神が、武士の自己自身との関わりにも働いていることを、われわれは改めて注目しなければならない
「恥じ」を考えるとき、われわれは、その根柢に自他の一体性がひかえていることを知らなくてはならない。
武士が恥じたのは、自己でありまた明眼――尊敬すべき他者であったのである。
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